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神戸地方裁判所豊岡支部 昭和34年(わ)2号 判決

被告人 岩戸弘

昭七・三・一六生 農業兼製炭業

主文

被告人を死刑に処する。

訴訟費用中証人川島駒一、坂本竹雄、船越金太郎、奥村二吉、三上芳雄および同村上仁に支給した分(ただし証人奥村二吉、三上芳雄および同村上仁のは各証人尋問期日に出頭したことによるものにかぎる)は被告人の負担とする。

理由

(被告人の経歴その他犯行にいたるまでの事情)

被告人は四歳のとき実母しまと死別し、その後本籍地方面において実父亀次郎等に育てられていたが、小学校一年生のとき父が明石市内の月照寺に寺男として働くようになつたのにともなつて同寺に転住し、昭和一九年三月同市内の人丸小学校を卒業した。同校卒業と同時に父と別れて本籍地岩熊部落の農業久保田弥太郎方に作男として住み込み、六年余りの間働いたのち、昭和二五年秋ごろからはかつて同じく久保田弥太郎方に作男として住み込んだことがあり当時はすでに結婚のうえ農業炭焼業として独立し父亀次郎をも引取るにいたつていた兄健一のもとに同居するようになつたが、被告人は、兄健一と協力し、農業や炭焼きの仕事にただ一途に精を出して働き続けた。このため、資産というに足りるものははじめはあばらや同然の住宅以外にほとんど見るべきもののなかつた兄弟も、やがて、購入資金の借財を相当に残しながらも、田畑一町数畝を兄名義で所有するにいたり、さらに昭和三二年ごろには岩戸やす(父亀次郎の兄徳蔵の未亡人、明治九年生れ)が一人居住している建物の敷地(岩熊一八六番地)をその所有者岩戸為雄(やすの長男)から兄健一が買取り(ただし移転登記はまだであつた)、被告人は、兄から将来右田畑等の財産を半分ずつに分けたうえ右敷地に新宅を設けて独立させてやるとの約束をされるようになつていた。そして、被告人はこの間兄の妻道子の連れ子である岩戸早苗(やすの二男亡正が道子の先夫であり、早苗はその間の子供である。昭和一九年九月生れ)との結婚を考えるようになり、兄の内諾をも得て、将来同女と結婚し前記敷地に新宅を設け右田畑等を分けてもらつて独立することに唯一の希望を託し、寝食を忘れたかのように働き続けてきた。

ところで、前記亡徳蔵とやすの二女である井上りん(明治四一年三月二八日生れ)は井上愛治(明治三八年二月一五日生れ、大工職)と結婚し、二人で長男靖朗(昭和一八年九月一一日生れ、昭和三四年三月中学校卒業予定、戸籍上は長男であるが実は赤ん坊のときのもらい子らしい)を養育していたが、昭和三三年九月ごろから豊岡市立五荘西小学校(岩熊の隣部落である同市新堂二九〇番地に所在し、被告人の自宅から約六百メートルのところにある)に用務員として勤務することになり、そのころ兵庫県城崎郡日高町久斗方面から同校舎内へ親子三人で転住してきた。このりんの気性については、きれいずきの反面口やかましく勝気で男勝りのところがあり、せんさく好きで口先は上手だが表裏があるという点で同女を知る人の見方はほぼ一致しているが、被告人は同女がかつて岩熊にいたころに同女と接し、そのさい同女から「どん」とか「ぶつきよう」と呼ばれるなど小馬鹿にしたような扱いをうけており、やはり同女を腹の黒いものごとをかき乱す女だと考えていた。また被告人は兄健一が前記やす居住の屋敷を買取つたころ同女もこれをほしがつていて健一や被告人に売ることに反対したのを知つていたので、同女が同校舎内に転住してくることを知つたころから、同女が隣部落にやつてきて被告人の前記希望の実現をじやましなければよいがとすでに不安を感じるようになつていた。りん一家の者が転住してきてからのこととしては、転居のさいに同女らが従前の家で使用していた畳、建具をやす方に運びこんで同女に与えたり、同年一二月一日ごろ被告人の父亀次郎の葬儀のためか被告人方に来ていたりんが「お前みたいなはきはきせん者はどこにももらい手がない」と被告人をなじつたりしたほか、りんがやすに「面倒をみてやるからいつまでも岩熊におれ」と言つたらしいことが被告人の耳にはいつており、また同月一〇日ごろやすの長男岩戸為雄の妻すてが被告人に「早苗のような女と結婚するな」という趣旨にとれることを言つたことがあつたが、被告人は、りん一家の者が転居してきて以来同女が被告人を嫌い避けようとしていると感じるとともに、これまでやさしくしてくれていたやすまでがその態度を変え急にそつけなく冷たくなつたと感じるようになり、前記の不安は日を追つて強まり、そのため同年一二月ころには、りんが陰で策動して被告人と早苗との結婚を妨げ、靖朗を早苗と結婚させたうえやすのあととりとしてその家、屋敷に住ませようとしていると思い込むようになつてしまつていた。

このように思い込むようになつたことによる被告人の不安と悩みは大きく、兄健一に再三その気持を打ちあけ、そのつど同人から「早苗を靖朗にやつたりはしない。お前と結婚させる」と言われはげましをうけたのに心は安まらず、同月一〇日ごろには城崎町の為雄方を訪れ、すてにたいし「急なことだがやすを引取つてほしい。二、三日のうちに返事をしてくれ」と申し入れたり、同月一二日ごろはりんにたいし「いつまでも岩熊におれとやすに言うが、あの屋敷は自分が買取つている。どういうつもりか」と詰問したりしていた。同月一四日ごろ被告人は兄健一の面前で道子にたいし早苗と結婚したい旨をはじめて打ちあけ、最初難色を示した同女も結局これを承諾してくれたので一安心したが、同月二八日、道子がりんに映画をおごつてやると誘われたことおよび道子がりんに誘われ同女とともに柿の実を採りに行つてきたことを道子の口から聞き、道子までがりんと通じ、りんの画策にのつて早苗と靖朗を結婚させようとしていると考えたりした。そして、被告人はこのような不安と悩みを持ち続けることにより、自然、りんをはじめ靖朗、愛治等りん一家の者にたいする憎しみの気持を強くするようになつていたのである。

(罪となるべき事実)

被告人は、前記のごとく、早苗と結婚のうえやすの屋敷に新宅を設けて独立することに将来唯一の希望を託し、仕事一途に精を出していたが、昭和三三年九月ごろりん一家が五荘西小学校に転居してきてからは、同女が被告人と早苗との結婚を妨げ靖朗を早苗と結婚させたうえやすのあととりにおさめようと策動していると思いこむようになり、兄健一からはたえず支持をうけながらも、右確信からくる不安をおさえられず、思い悩んだ毎日を送り、自然、りんをはじめ靖朗、愛治にたいする憎しみの気持を強くしていつた。同年一二月二九日被告人は炭焼きの仕事のため兄健一とともに山中にこもつたが、前日道子からりんとのことを聞かされたせいもあつて、りんが策動しているとの思いが頭を離れず、「この策動が実現すれば早苗と結婚のうえやすの屋敷に新宅を設けて独立することを楽しみにこれまでただひたすらに働き続けてきた自分の努力も水の泡になつてしまう。いつそのことりん一家の者を皆殺しにしてやろう。そうでないと自分の立つ瀬がない」と考え出すようになつた。いつたんこのように考え出した以上、被告人はこれに沈潜する一方であり、「これを実行するには一二月三一日の夜が宿直の先生もおらず好都合だ」などと考えながら同月三〇日夕刻下山した。同日下山後三一日夜には学校に人が集つて酒を飲む予定があることを知り、それならいつそ今夜実行するのがよいと考えたりしながら整髪のため外出したが、その途中に出会つた愛治から「お前は婿に出るということではないか、道子がそのように言つていた。道子は早苗に他の婿をとつてやすの家に分家させる考えだ。早苗をお前にやるというのは嘘だ。」と話されてその虚実につき思い悩み、りんに対する憎しみがいつそう深くなつた。同夜九時半ごろ床についたが、被告人はりんが策動しているとのことや自分の将来のこと、これまでの自分の努力のことなどを考え、興奮して眼られず、いろいろと思いをめぐらしているうちに、りんをはじめ靖朗、愛治にたいする憎しみのあまり、ついに、自己の気持を晴らすべく、同夜学校に赴いて同人ら全員を殺害しようと決意するにいたつた。かくして被告人は同月三一日午前二時ごろ木出し用の大とび口(通称ドツドコ。柄の長さ一メートル三十センチ余、金属部のさし渡し約二六センチメートル、重量約三・五キログラム)一本を携行して自宅を出、まもなく前記五荘西小学校校舎内に立ち入り廊下づたいに用務員室(廊下右がわ)へ向つた。用務員室へ近づくとその筋向いにある教員宿直室から電灯のあかりがもれていたので、戸のすきまから同室内の様子をうかがつたところ、宿直室内部は手前と奥とに二部屋があり、奥の部屋に宿直教員小西正弘(昭和七年一〇月五日生れ)が就寝し、手前の部屋に用務員室内にいると思つていた靖朗が就寝しているのを発見した。そこで被告人はまずこの靖朗を殺害すべく同室内に忍び入り、所携のドツトコをふり上げ就寝中のふとんの上から同人の身体をめがけて一回強く打ちおろし、これで覚醒した同人がとび起きて室外に逃れるやそのあとを追つて用務員室内に至り、同所において右靖朗ならびにそれまで就寝していたが気配に目をさまして立ち上り被告人に向つてきた愛治および同じく就寝中のところ気配に目をさまして上半身を起したりんの各頭部、顔面を続けさまに各数回あてドツトコで乱打し、各該所に深い挫創や頭蓋骨折等の傷害を与えたほか靖朗、愛治の脳を挫傷させ、りんに頭蓋内出血を起こさせていずれもその場に昏倒させた。続いて被告人は廊下に出、宿直室内部の様子をうかがつたところ、前記宿直教員小西正弘が横臥のまま目をさまし耳をすましているような態度であり、被告人の姿をみるや同人が「強盗だ!」と叫び起き上ろうとしたので、被告人は、逮捕を免れ自己の犯跡を隠蔽するため、突嗟に同人をも殺害しようと決意し、同人が起き上るいとまもなくそのそばにかけつけ、横臥中の同人の頭部、顔面をめがけてドツトコを数回打ちおろし、該所に深い挫創や頭蓋骨折等の傷害を与え脳を挫傷させて同人をそのまま昏睡させた。その後被告人は用務員室内に引き返し、自己の犯行を強盗の仕業とみせかけるため箪笥のひき出しを開けたりし、いつたん帰宅したのち同日午前七時ごろまでの間さらに二回にわたり同校舎内におもむき用務員室内に立入り、りんら被害者の様子をみたりあるいは足跡を水で流したり指紋を拭うなど犯跡隠蔽の行為をし、この間、同室内において頻死またはすでに死亡していた靖朗および愛治の頭部等をそのとどめをさすべくその場にあつた木製の丸椅子で数回殴りつけたほか、頻死の状態で昏睡していたりんにも同じくとどめをさすべくその胸部を右丸いすで数回殴打したり、手で喉のあたりを殴つたり締めたりした。かくして被告人は、同日午前八時ごろまでの間に前記用務員室内において靖朗および愛治を、宿直室内において小西正弘を、それぞれ前記各頭蓋骨折および脳挫傷のため死亡するにいたらしめて同人らを各殺害し、かつ、りんにたいしては五ヶ月有余の間の入院治療を要する左側頭骨打撲陥没骨折、左顴骨複雑骨折、下顎骨骨折、頭蓋内出血等の頻死の重傷を与えたにとどまり致命傷とはならなかつたので殺害の目的を遂げるにいたらなかつたものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人の刑事責任能力について)

当裁判所は弁護人の心神喪失ないし心神耗弱の主張を採用しない。ただ、被告人の本件犯行当時における精神状態について当裁判所の命じた三回にわたる鑑定の結果は、そのうち鑑定人奥村二吉、同三上芳雄の共同鑑定が右精神状態をほぼ正常とするほかは、鑑定人村上仁および同辻悟の各鑑定がいずれも心神耗弱の判断を示しているので、以下に右不採用の理由を述べることにする。

一、鑑定人村上仁は被告人が本件犯行当時朦朧状態にあつたことを主たる前提として被告人には限定責任能力(法家のいわゆる心神耗弱)を認めるのが妥当であると結論しているが、当裁判所は犯行当時被告人が朦朧状態にあつたものとは認めないから、これを採用することはできない。

なお、同鑑定人は被告人が軽度の精神薄弱であつたと述べているが、これは同鑑定人が被告人に施したウエクスラー・ベルビユー式智能検査の結果が言語テストIQ七八、動作テストIQ九二、総合IQ八一であつたということからきているものであり、鑑定人辻悟も述べているように、知能がこの程度低いからといつてそのため被告人の刑事責任能力を左右することはあたらない。

二、ところで鑑定人辻および同村上の各鑑定によると被告人は強い劣等感と他よりの孤立、極端な融通性の欠如と粘り強い執着性、鈍重と爆発の両極性を中心とする精神病質人格者であることが認められる。被告人は前述のように幼少のころから恵まれない生活環境に育つているのであるが、ことに人丸小学校においては同級生たちから「田舎者」と言つて馬鹿にされ、「そばかす」とあだなされてさげすまれ、皆から除け者扱いをうけ、久保田方での作男としての長年の奉公のさいにもつらいことが多く、これらのことと青年期に一過性の精神分裂病を患い実母を殺害した亀次郎を父に持つなどのことがあいまつて、被告人には右のような精神病質人格(異常性格)が形造られるにいたつたものである。

そして被告人は(1)その異常性格の故もあつて早苗との結婚とやすの屋敷への分家を自己の将来の人生の唯一のあり方であると考えていたところ、(2)その異常性格の故にりんが策動して右将来の希望の実現を妨害すると確信するにいたり、(3)したがつて右両者の葛藤からくる被告人の悩みと苦しみは強く、またそれだけにりんにたいする恨みとりん一家の者にたいする敵意が強く、りん一家の全員をこの世から抹殺することを考えついたのであるが、(4)いつたんそのように考え出した以上その異常性格の故にこの考えに沈潜する一方であり、ついに本件犯罪実行の決意をするにいたつたものと考えることができる。

もつとも、りんが策動して被告人の分家と早苗との結婚を妨害しているとの被告人の判断ないし確信は、正常でないことはたしかであるが、それは主として同人の邪推によるものであつて精神分裂病における被害妄想のように了解が困難なものではなく、妄想とは区別すべき性質のものである(この点は鑑定人辻悟、同村上仁ともに同様に判断している)。また、犯行そのものは一時的な激情から前後の見境なく行なわれた短絡反応ではなく、計画性がみられ、そのさいの意識状態に特別の異常は認められない(この点は鑑定人辻悟、同奥村二吉、同三上芳雄ともに同様の判断をしている)。被告人はてんかん病質的素質を有するが、いまだてんかん病患者であるとは認められず(この点は右辻悟のほか鑑定人村上仁も同様に判断している)、てんかん病の発作中に犯行に出たものでないことももちろんである。したがつて、被告人の刑事責任能力を考えるにあたつては、その異常性格(それに基因する精神的変調があるとすればその変調をも含む)が本件各犯行に与えている影響をどのように評価すべきかを考察すればよいのであつて、そのほかの要素を考慮することは必要としない。

ところで、右の評価の問題について鑑定人辻悟はつぎのように論じている。

本件犯行の動機およびそれに従つて生じた犯行は常識的にみれは特異的であるにしても、被告人の性格を基底において考えれば首尾一貫したものになる。したがつて、犯行当時被告人が正常な精神能力に支障をきたしていたかどうかという問題は、被告人の持つているような性格の異常が正常な精神能力の支障ををうんぬんするに足りる異常であるか否かの問題に置きかえられ、それ以外には犯行前約一ヶ月間にみられた被告人の不安定な精神状態がそれにいかに関連していたかが問題になるだけである。

まず本件犯行の重要な動機となつた被告人のりんにたいする判断をとりあげるに、その判断の偏狭さは被告人の性格をぬきにしては考えられない。元来判断は性格やそのときの感情に影響されるのは当然であるが、もし正常な精神能力を、そのような性格や感情に影響されながらも、一方ではある程度それから離れて事の是非を判断し得る精神能力の自由性にあるとすれば、被告人の性格偏倚はこのような判断の自由性を非常に強く制限する性質のものである。この点を重視するか否かによつて被告人の正常な精神能力に支障があるか否かの判断は異なつてくるのであるが、ことに本件のばあいは、被告人は犯行前約一ヶ月間は周囲の状況の推移から疑惑と不安が増加せざるを得ない状態にあつたのであり、そのことから犯行を決意した当時は右に述べた判断の自由性が一層制限を受けざるを得ない状態にあつたとみられる点も考慮しなければならない。

つぎに本件犯行の態様をみるに、それが常識的にみれば必要以上と考えられる残酷さと徹底性を有しており被告人の動機となつた被害念慮とはなんの関係もない宿直の教員までも殺害している点についても、被告人の性格面での粘着性と爆発という点から前記動機のばあいと同じことが言える。すなわち、被告人がいろんな方法をとり得るにもかかわらずとくにこのような残酷で徹底的な方法を選択したとは考えられず、被告人の性格の異常性と犯行を決意した時の精神状態によるその増強がこの結果をもたらしたと考えざるを得ない。このばあい、被告人はてんかん病質と考え得るところから、てんかん的な素因とのつながりも想定されることを併せ考えれば、被告人の精神能力の自由性は一層制限されたものとなる可能性が強くなる。

以上の考察を綜合して、本件犯行当時被告人が刑事責任能力のレベルにおいて正常な精神能力に支障をきたしていたとは言えないとする立場があることを一方では認めながらも、本件各犯行当時被告人が正常な精神能力に支障をきたしていたと結論することを至当と考える。ただし、このばあいその程度はある程度の制限であつて絶対的な制限ではない。すなわち法家のいう心神耗弱の程度以上には出ない性質のものである。

鑑定人辻悟は以上のように論じているのである。

しかしながら、当裁判所は辻鑑定人の右論述に賛成しない。

まず第一は被告人の異常性格の程度についての同鑑定人の判断である。なるほど被告人の異常性格の程度が強いものであることはたしかであるが、同鑑定人の鑑定書第七章の二「被告の性格の異常性の程度について」の項の記載からしてもそれが同鑑定人の述べる程大きなものであるとは考えがたい。右記載によれば、同鑑定人は被告人の性格の異常性が大きいとする主な理由として

(1)被告人にとつては将来の分家と早苗との結婚を目標に仕事に熱中することが人生のすべてであるといつても過言ではなくそれ以外のあり方を考えることができない。そしてこれが直接に本件犯行の動機へとつながつていることからみてこの面でも被告人の異常性は大である。

(2)つぎに、主として田中隆雄の「被告人は思いつめるとかつとなつて常識では考えられないようなことをする。四年前すこし金がたまつて被告人が「今まで人の世話になつたがこれからは誰の世話にもならぬ」と部落で言いふらしたので、被告人のいないところで批判したのを同人が知り、血相をかえて怒つてきたことがある。」との供述や、兄健一の「日常は何事もよく働くが、変なところのある男で、あまり口やかましく言つたりすると変熱を起して寝てしまう。」との供述などによるとき、被告人のばあい反応が生じにくいのにもかかわらずいつたん生じた反応の過大さと持続時間の大きさは普通常識からは理解困難な印象を与えるものと思われる。

との二点をあげているのであるが、右(1)および(2)の各事実ともたしかに異常ではあつても理解できないという程のものではない。すなわち

(1)については先に述べた被告人の境遇、それによる対人関係の極端な少なさ等を考えれば、被告人がたまたま実現しそうになつてきた分家と早苗との結婚に人生のすべてをかけたということも、ひいてはその妨害者を排除しようとしたこともともにその心情は十分に理解し得るところであり、

(2)についても、田中隆雄や兄健一の述べているようなことがらは、いずれも被告人がいわゆる変り者あるいは偏屈ものであるということを示す以上には出ないものである。

しかも、同鑑定書附一の脳波検査成績によれば、カルヂアゾール誘発法による結果が正常脳波とてんかん性異常脳波との境界脳波を示しており、前記奥村、三上共同鑑定のメジマイド誘発法による同検査結果は正常脳波を示していることその他前記三鑑定書の各記載をも綜合勘案すれば、被告人は強い異常性格の持主で精神病質人格者であるとはいえても、それは中等度のものというべきであつて、さらにそれ以上に重篤なもであるとはとうてい考えられない。そしてこの程度の精神病質人格者はただそれだけの故をもつて刑法にいう心神耗弱者に該当するとすることはできないのである。

当裁判所が辻鑑定人の前記論述に賛成しない第二の理由は、右の程度の精神病質人格者である被告人がとくに本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたとする根拠につき同鑑定の説得力が弱いという点である。この点について述べるに、本件犯行は、りん一家の者にたいするかぎり、論理的にも事実上も(一)動機の存在、(二)その動機を前提としての犯行の決意、(三)その決意にもとづく犯罪の実行という経過をたどつて遂行されており、そのおのおのの段階で被告人の異常性格が影響を与えているわけであるが、被告人の刑事責任能力を考える上においてもつとも肝要なのは右(二)の決意の段階(ただし、実行の直前までを含むものとして考える)における異常性格の影響であつて、異常性格の故に判断を誤り殺害の動機が形成されたという右(一)の段階における異常性格の影響はあまり重視することができず(なぜなら、そのような動機が存在することは通常人のばあいでもあり得ることであるし、そのような動機が存在するばあいになお正常人同様の判断とその判断にもとづく正しい行為を期待してよいか否かが問題の中心であるからである)、また、異常性格の故に犯罪実行の具体的方法が動機が必要とする以上に残酷であり徹底性を有するという(三)の段階における異常性格の影響はそのことじたいなんの意味をも持たないことがらである。しかるに、同鑑定人の前記論述は右(二)の段階における異常性格の影響を考察するにあたり、そのこと自体よりもむしろ(一)および(三)の各段階における異常性格への影響に重点をおき、その点を過大に評価しかつそれにとらわれすぎているとの感が深い。ことに犯行結果の徹底性、残虐性を強調し、また被害念慮と無関係な教員を殺害したことをあげて逆に(二)の決意の段階における被告人の性格ないし精神状態の異常性の大きさを説明している点は問題である。なるほど本件犯行の態様がきわめて残酷で徹底性を有しており、それが量刑面において考慮されるべきものであることはのちにも述べるとおりであり、そのことが被告人の異常性格にも影響されていないとはいえないのであるが、被告人が最初の兇行後二度も現場に赴いたのは犯行の痕跡を消すためであり、現場に行つて被害者がまだ生きているようであれば、一家鏖殺を決意しすでにその実行に移つたものとしてさらに攻撃を加えるということは当然考えられるところであり(全身ところかまわず何十個所も傷をつけたわけでもない)、また無関係な教員の殺害も犯罪の発覚を防ぐためのものであつて、これらのことからおして犯行決意当時における被告人の精神状態の異常性を強調するのはあきらかにいき過ぎといわなければならない。

むしろ当裁判所は、鑑定人辻悟、同村上仁の各鑑定理由等を基礎におくことにより、すでに検討したごとき精神病質人格者である被告人が本件犯行を決意し実行した当時のその精神状態につきつぎのように考えるのである。すなわち、

被告人は被告人の分家と早苗との結婚を妨害するりんの策動を確信したが、そのことによる被告人の悩みと苦しみは、右分家と結婚を自己の唯一のあり方と考えそのことに希望を託しながら一心に働き続けてきただけに、また右将来のあり方についての考えが被告人の異常性格によつて規定されたものであるだけに、通常人のばあい以上に強かつた。そしてその悩みと苦しみを穏当な方法によつて解決することはその異常性格の故に通常人のばあい以上に困難なことであり、ただ被告人は悩み続けたのである。かくして、鑑定人辻悟が述べているとおり、りんの出現による被告人の不安と葛藤、りんにたいする恨みないし敵意は犯行前約一ヶ月の間にその極に達し、被告人はこの間不安定な精神状態を持ち続けた。そしてこのような状態のもとにおいてりん一家の者の殺害ということに思いをいたしはじめた以上、被告人がその考えを反省してそこから抜け出すことは、その異常性格の故に通常人のばあい以上に困難なことであり、昭和三三年一二月三〇日夜(犯行前夜)床についてからというものはただ考えることはりんの策動ということとそれによる被告人の将来のことおよびこれまでの被告人の努力の水泡化ということばかりであり、そのことばかりに思いをめぐらすうちついに緊迫した心理状態のもとにおいて、りんをはじめ愛治、靖朗にたいする憎しみの気持のあまり被告人の苦しい心情を晴らすべく、同人ら全員殺害の決意をかためるにいたつたものと考えることができる。

しかしながら、被告人が苦しみ悩んだのはりんの策動により早苗との結婚および分家という被告人の将来の希望の実現が妨害されると考えたことによるのであつて、りん一家の者を殺害してまで自己の保身をはからなければならないようなさし迫つた危難があると考えたがためではない。しかも、右の悩みと苦しみにより不安定な精神状態が持続し高揚して行つたのであるが、それがため被告人が当時それ以上に進んで精神的または肉体的に心因性の変調をきたしていたと認めることはできないし、犯行決意の前後において睡眠不足、空腹、肉体的疲労、薬物等の影響により精神の不安定と緊張が異常に高進したと認めることもできない。また、不安定な緊張した精神状態にあるところへ外部からの異常な刺激が作用しこのため平素の人格構造が一時的にせよ崩壊し突嗟に犯行を決意したものでもない。そして犯罪実行の決意を最後に確定させたものはりんにたいする恨みないしりん一家の者にたいする敵意にほかならず、しかもいざ犯罪を実行する段階になつても犯行は決意にもとづき時を選び兇器を選んで計画性をもつてなされており、そのさいの意識状態に特別の異常があつたとは認められない。動機と犯行の決意ならびにその実行の全体を通じて了解不能な点はない。

当裁判所は以上のように考えるのであつて、要するに本件各犯行は被告人の平素の人格構造とかけはなれたところで決意され実行されたものではなく、ただ、その平素の人格構造が強度の異常性格に支配されており、かつ不安と悩みのため不安定な精神状態を持続したあげくそのことばかりに沈潜し思いをめぐらせた結果の緊迫した心理状態のもとにおいて犯罪の実行を決意するにいたつたと言い得るにすぎないのである。そのかぎりにおいては是非善悪を判断する能力又はその判断にしたがい正しく行動する能力が通常人のばあいに比して劣つていたことはたしかであるが、刑法はこの程度のことによつて犯人の刑事責任能力を限定することを拒否していると考えるのが相当である。すなわち以上の検討にもとづいて考えるとき、規範上、被告人は右能力を「いちぢるしく」減弱していたとすることはできず、本件犯行当時被告人が心神喪失または心神耗弱の状態にあつたとは言い得ない。

(情状)

本件各犯行が被告人の異常性格に負うところが大きいことはすでに述べたとおりである。りん一家の者にたいする各犯行が結局は同人らにたいする恨みと敵意によつて行なわれたものであるとはいえ、早苗との結婚とやすの屋敷への分家を自己の唯一のあり方であると考え、そのことに将来の希望を託して一心に働き続けてきた被告人にとつて、りんが策動して右希望の実現を阻害すると確信したときの悩みと苦しみが、その異常性格の故に通常人以上に強いものであり、またそれを穏当な方法で解決することが困難でただ悩み苦しみ続け、追いつめられたような心理状態になつたこと、ならびに、いつたんりん一家の者の殺害ということを考え出し始めた以上、その異常性格の故にそこから抜け出すことが通常人以上に困難であつたこと、に思いをいたすとき、被告人に対するあわれみの情を禁じ得ないものがある。そして、被告人は幼児のころから生育環境にめぐまれず、その生活歴が被告人の右異常性格を形成する一要因となつており、かりにこのような性格異常がなければ被告人と同じ立場にありながらも犯行の動機が形成されず、殺人犯とならずにすんだであろうと言えることは、被告人のために同情に値するところである。本件各犯行が被告人の欲望を充すためにではなく、一種の重圧に反撥するとの動機のもとに行なわれていることも被告人のために考慮しなければならない。また、被告人は犯行が発覚した日の翌日昭和三四年一月一日午後一一時ごろみずから警察に出頭して自己が犯人であることを申し出で(岩戸健一の一月五日付、同月六日付各供述調書および第二回公判調書中同人の供述(証言)記載部分、久保田弥太郎の一月五日付供述調書、田中隆雄の一月五日付供述調書および第二回公判調書中同人の供述(証言)記載部分、司法巡査高橋是似および司法警察員安藤範ならびに同人外一名の各一月一日付捜査本部長あて捜査復命書、第三回公判調書中証人篠原渡および同久保馨の各供述記載部分によれば、それは法律上の自首に該当すると認められる)、もつて事件の解決をもたらし社会に平静をとりもどさせているのであつて、この点も被告人にとつて汲まなければならないところである。しかも、被告人は本件犯行にいたるまでの生活歴において破廉恥なところはなにひとつなく、むしろ小学校卒業以来ただ仕事ひとすじに打ち込み精いつぱいの努力をしながら誠実に生きてきたのであり、その努力によつて幼児以来の不幸な境遇より脱却し、ようやく人生に華を咲かせようと希望しはじめたその被告人が、あわれにも苦しみと悩みのあまり犯してしまつた本件各犯行で極刑に処せられるとすれば、いかにもみじめでありかわいそうではないかとの感が深い。

しかしながらひるがえつて考えるに、被害者りんは人にいやがられる性質の女であることに世間の見方が一致し、被告人をして前記のごとき確信をいだかしめる原因となるような言動をしていたことは否定できないが、同女が靖朗をやすのあととりとしたいとの意図を持つたりやすの家屋敷を入手したいと考えていたとしても、そのことじたいなんら責めるべきものではなく、かつ同女はいまだ靖朗を早苗と結婚させたいときめてかかつていたものでもないし、右意図を実現することが被告人の将来の希望をふみにじるものと明確に察知していたかどうかも疑問である。かりにりんがそのことを察知しながら右意図の実現をはかろうとしていたとしても、それが客観的な言動として外部に表われたのはいまだごくわずかのことであつて、本件犯行の動機となつた被告人のりんにたいする恨みは多分に被告人の邪推にもとづくものということができ、ただそれだけのことでりんが被告人から殺害の対象としてねらわれるにいたつたことは同女の立場からするときまことに意外な驚くべきことがらといわなければならない。それでもこのりんとその夫愛治には平素被告人の反感を買うような言動があつたと非難し得るが、その子靖朗は当時まだ一五歳の中学生でありまつたくの無過失である。ことに宿直教員であつた小西正弘にいたつては完全にまきぞえをくつたものであり、しかも床から起き上るいとまもなく無抵抗のまま惨殺されているのであつて、同人にたいする殺害行為はりん一家の者にたいする犯行の証拠を消しかつ逮捕を免れるために行なわれた殺人のための殺人というよりほかがなく、ただ被告人が最初から同人の殺害を念頭において学校へ赴いたものではなく突嗟の犯行である点にわずかに救いを見出し得るのみであり、動機において他になんら同情すべき点はみられない。りん一家の者にたいする犯行についても、それは突嗟の激情にもとづくものではなく、短時間であるが事前の熟慮を経てなされているのである。また殺害行為の態様は、いずれも寝込みを襲い、全長一メートル三十余センチ、重さ三・五キログラムの兇器を振るつて有無を言わさず滅多打ちにし、りん一家の者にたいしてはさらにその後もとどめをさすため執拗に攻撃をくり返しているのであつて、その残酷さと徹底性は目を掩わしめるものがあり、かつ強盗を偽装しさらには足跡を水で流したり指紋を拭つたりしているのであつて、残忍冷酷のきわみである。かくして愛治、靖朗、小西正弘の三名をほとんど即死に近い状態で死にいたらせ、りんにたいしては瀕死の重傷を負わせ、あやふく一命をとりとめたのちも廃人同様となりいまだ五一才になつたばかりの身で養老院に希望のない余生を送らなければならない目に会わせたのである。このように三人を殺害し一人を廃人にしたというだけですでに結果は重大であるが、しかも小西正弘は夫婦と子一人(犯行当時妻は二八歳で小学校教員、長男は一歳)の一家の主であり、残された遺族の悲嘆ならびに被告人にたいする憎悪の念は察しても余りがある。また平穏な但馬地方の田園において本件のごとき兇悪事件は稀にみるものであり、社会一般に与えた衝撃の大なることも容易に理解できるところである。以上の諸点を考慮するとき被告人の責任はまことに重大であるが、本件公判の審理を通じても被告人が犯行後深い悔悟の念のもとにあると認めがたいのはことにはなはだ遺憾なところである。

そして被告人の年令、経歴、境遇のほか以上の諸点を比較衡量するとき、被告人にも同情すべき余地のあることはたしかであるが、その点を最大に考慮してもいまだ被告人の責任の重大性からくる極刑の選択を免れしめるにはいたらない。

(法令の適用)

判示事実中井上靖朗、井上愛治および小西正弘にたいする各殺人の点はそれぞれ刑法第一九九条に該当し、井上りんにたいする殺人未遂の点は同法第一九九条、第二〇三条に該当する。以上は刑法第四五条前段の併合罪であるが、前記情状の項で述べたとおり本件犯罪の情はきわめて重く極刑を相当とするので小西正弘にたいする殺人の罪につき死刑を選択のうえ被告人を死刑に処し、したがつて刑法第四六条第一項にのつとり被告人に他の罪の刑を科さず、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大政正一 岡本健 平山雅也)

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